<< 2017Jan. Feb. Mar. Apr. May Jun. Jul. Aug. Sep. Oct. Nov. Dec. 123456789101112131415161718192021222324252627282930>>

Admin  |  New entry  |  Up load  |  All archives

Prev Entry | main | Next Entry |

cup スポンサーサイト

--.--.-- --
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

  • ジャンル :
  • スレッドテーマ :

cup 現地からの声

2011.06.07 Tue
●「おやじの骨、いつか墓に」 大熊町でも一時帰宅
 東京電力福島第一原発を抱える福島県大熊町の住民が4日、原発から20キロ圏内の「警戒区域」に一時帰宅した。浪江町でも実施。この日は最高気温が約27度と高く、保冷剤が配られるなど暑さ対策がとられた。体調を崩した人はいなかった。

 大熊町の泉田幸重さん(55)は、避難先で約1カ月前に亡くなった父、大(つよし)さん(76)の遺骨を納められるか確認するため、自宅から約300メートルの田んぼの角にある共同墓地に向かった。泉田家のものも含め20基ほどの墓石のほとんどが倒れていた。「おやじの骨を入れてやりてえんだがな」。ゴム手袋のまま手を合わせ、目をつぶった。

 畜産農家だった大さんは震災翌朝、幸重さんらと家族5人で、隣接する田村市の親族宅に避難した。大さんは心臓に持病があり、食事のたびに10種類以上の薬をのむ必要があったが、慌ただしく避難する中、薬は持ち出せなかった。呼吸はどんどん荒くなり、4日後に救急車で運ばれて入院。5月2日、心不全で死亡した。「原発の事故がなければ」。幸重さんはそんな思いを消せない。

 10頭の牛を育てていた大さんは、入院中も「早く大熊さ帰りてぇ」と繰り返したという。

 自宅は第一原発から約8キロの山間部にある。今は牛や犬の声も隣家の物音も聞こえない。「静かすぎて、生きている町でないな」と、幸重さんは思う。

 四十九日の法要が終わっても、すぐに納骨はかなわないと覚悟している。「原発には40年間、町の振興に協力してもらった。でも、代償がこれなら、原発はいらなかった。裕福な町でなくていいから、人間としてそのまま暮らせる町の方がよかった」【asahi com】2011年6月5日11時27分 (西村圭史、小寺陽一郎)
関連記事

  • ジャンル : 映画
  • スレッドテーマ :

COMMENT



ADD COMMENT












TRACKBACK

TRACKBACK URL

http://cinema2009.blog47.fc2.com/tb.php/522-e1a29dba

|World Clock|
|Welcome|
Matt in NY
|カテゴリ☆ツリー|
|アーカイブ*カレンダー|
|最新記事|
|コメント|
|トラックバック|
|殺される命があります|
殺処分にされる犬や猫は
なんと年間29万頭('08年度)
罪もないその小さな命は
ガスによる窒息死です!
この現実に目を向けてください
|検索フォーム|
|QRコード|
QR
|Link|
|photo|
お気に入りphoto
Francesca Inaudi

Gerry
Gerry

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。